ことのは塾のことのはブログ

ことばの専門塾を主宰する在野の言語学者が身近な言葉の不思議について徒然なるままに好き勝手語ります。

ことばの「意味」の変化:破天荒と殿様商売

 久々の更新です。

 今回はことばの意味の変化についてお話しします。

 日常でよく耳にすることばの一つに「破天荒」というものがあります。この言葉、本来の意味は「今まで誰もしなかったことをすること。未曾有。前代未聞。」(広辞苑 第六版)ということで、「破天荒の大事業に取り組む」などという使い方をするものです。

 しかし、少し古いデータですが、日本の文化庁が平成20年度に日本人を対象に実施した「国語に関する世論調査」によると、64.2%の日本人が「豪快で大胆な様子」という意味に誤解、あるいは誤用していることが判明したとのことです。もう、これは「誤用」「誤解」のレベルではなく、立派に「意味の変化」が起こっていると理解すべきだと思います。つまり、現在は「従来からの正しい意味」と「新たに生じた意味」がせめぎあいをしている状態で、今後「両方残る」か「新たな意味が旧来の意味を凌駕する」かのどちらかになっていくものと思われます(学校教育やその他のメディアで徹底的に「旧来の意味」を正しいとするキャンペーンを行うなど、余程のことがない限り、「旧来の意味」が盛り返すことはないでしょう)。

 ここでは、「誤用はけしからん、正しく使え」などという、「規範的な(言語学の専門用語でprescriptiveと言います)立場」から述べることはしません。ことばは使用すればするほど当初の意味からずれていき、意味の範囲が拡大・縮小するなど、何らかの変化を起こすからです。したがって、ここでは認知言語学的な知見から「なぜ、このような意味の変化が生じるのか」というメカニズムの話をしたいと思います。

 よくネットなどでこの誤用の原因についてブログなどで書かれている方たちがおります。その指摘のほとんどに共通するのは、「『破』『荒』の漢字の意味からのイメージ」という指摘です。つまり、「破」という漢字からは「破壊」、「型破り」などのイメージ、そして「荒」の字からは「荒れる」「乱れる」というイメージから、「豪快」「大胆」など、剛毅な意味が生じたという理屈です。他には、「由来を知らないから」という説も提示されている方がいました(が、我々は自分たちの使用している言葉の由来などほとんど知らないわけですから、あまり由来や語源は関係ないでしょう)[1]

 そういった漢字の持つイメージは否定しませんが、私はもう少し人間の認知能力に基づいたメカニズムが作用しているのではないかと考えています。具体的に言うと、「破天荒」の意味変化には、言語学で言うところの「メトニミー(metonymy: 換喩)」が作用していると考えています。

 メトニミーとは比喩の一種で、「あるものを表すのに、これと密接に関係のあるもので置き換えること」(広辞苑 第六版)を言います。例えば、「きつねうどん」における「きつね」は「油揚げ」を指しますが、これは「神の使いである狐」の好物が「油揚げ」であることから生まれたメトニミーで、「概念的に近い関係性」に基づく比喩です[2]。有名なところでは、夏目漱石の小説『坊ちゃん』に登場する教頭のあだ名が「赤シャツ」と言いますね。これは当該人物がいつも赤いシャツを着用していることに由来します。これは「身に着けている物」で「その物を着用している人物」を指すメトニミーで、「空間的に近い関係性」に基づいたものです。

 では、ここで「破天荒」について考えてみましょう。繰り返しになりますが、「破天荒」の本来の意味は「今まで誰もしなかったことをすること」です。誰も成し遂げなかったことを成し遂げるためにはどのような要素が必要でしょうか?それまでの常識に囚われていてはいけません。大胆不敵に行動する必要もあるでしょう。そうです。この意味変化は、「結果(=破天荒)」で、「それを成し遂げるために必要な要因(大胆、豪快、常識に囚われない、など)」を表すという、「結果で原因を表すメトニミー(Effect-for-Cause Metonymy)」に基づく変化なのです。これには、次のような類例が存在します。

 

(1)  身重

 「体が重くなった」という結果で「妊娠」という要因を指す。

(2)  身軽

 「体が軽くなった」という結果で「出産」や「足手まといになるものがない」という要因を指す。

(3)  開いた口が塞がらない

  「口が開く」という結果で「あきれる」という要因を指す。

(4)  頬を染める

  「顔が赤くなる」という結果で「恥じらう」という要因を指す。

 

このように、広く一般的にある「物事の認識様態」、つまり「対象のどの部分に焦点を当てているか(例えば、原因・要因の方なのか、それとも結果か)」が変わっていくと、意味は変化するのです(焦点推移)。

 ちなみに、「破天荒」と同様に誤解・誤用が指摘される表現に「殿様商売」があります。こちらは本来正しいとされる意味は「もうける努力も工夫もせず、鷹揚にかまえた商売の仕方」(広辞苑)や「利益にこだわらない商売の仕方」(大辞林)を言います。「鷹揚に」ということは「ゆったりと落ち着いた様子」ですから、本来は「商売っ気のなさ」を揶揄した言葉なのです。しかし、最近では、「顧客の利便性やメリットを考えず、自分達の立場の強さを利用して一方的な販売条件で商売をすること」と理解されているようです。

 本来の意味としては、「殿様=何も恐れず悠然としている」という「人物で属性を指すメトニミー」に基づく意味だったものが、「殿様」という地位が「立場の強いもの」を連想させることにより、「殿様」という種(下位カテゴリー)で「立場の強いもの」という類(上位カテゴリー)を指す「シネクドキ(提喩)」(下の注釈2を参照)による意味変化が生じたということになるかと思います。こうした「意味の変化」を単に「誤解」「誤用」、あるいは「ことばの乱れ」で片づけるのではなく、「なぜそうなるのか」を考えてみると面白いと思います。

 

[1] 「天荒」とは、未開の荒れ地のこと。破天荒は、「天荒」を破るという意味。 唐の時代、荊州の地からは毎年多くの人が官吏登用試験である科挙を受けていたが、合格者が全く出ないため、この地は「天荒」と呼ばれていた。 ところが、荊州から劉蛻(りゅうぜい)という者がはじめて合格したため、「天荒を破った」といわれたことから。

[2] ちなみに、「油揚げ」は本来「油で揚げること。また、その食品」を指しますが、一般的にはその一つの種に過ぎない「薄切りの豆腐を油で揚げたもの」を指しています。これは「シネクドキ(synecdoche:提喩)」と呼ばれる比喩です。上位カテゴリーである「油で揚げた食品」でその下位カテゴリーである「薄切りの豆腐を油で揚げたもの」を指しています。「花見」の「花」(上位カテ)で「桜」(下位カテ)を指すのと同じです。