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ことばの専門塾を主宰する在野の言語学者が身近な言葉の不思議について徒然なるままに好き勝手語ります。

母語話者をどこまで信用してよいか

 現在、小学校における外国語活動もすっかり定着し、日本全国どこの自治体でも英語の母語話者(以外も実際には多いのですが)をALT(Assistant Language Teacher: 外国語指導助手)として配置しています。特に、英語の教員免許を持った先生が不足している小学校では、ALTが中心となってレッスンを行い、担任の先生がアシスタントとして活動するパターンが多くみられます(本当はこれ、法律上はいけないことなのです。ALTの問題については色々述べたいこともあるので、またの機会に)。

 さらに、新しい学習指導要領では、中学校の英語では原則英語を用いて指導をすることになるなど、学校の英語教育はますます「ネイティブ志向」の度合いを強めていると言えるでしょう。

 しかしながら、英語をネイティブに教わることは英語学習においてどれほどの意味を持つのでしょうか。最初に指摘すべきことは、「母語話者はその言語についてあらゆることを知っている、教えてくれる」と考えるのは非常に危険であるということです。これについては、すでに別の記事(2018/8/2の記事「英語を学ぶということ:『B層グローバリズム』に流されないために」を参照してください)でも述べましたが、そこに述べたこととは別の観点から理解しやすい例で説明しましょう。次の日本語を読んでください。

 

(1)     私の夢は小説家になりたいです。

 

何か違和感を覚えませんか。さらに、次の文はどうでしょう。

 

(2)     原因は、主人公のお姉さんの横取りした女の子と婚約しておきながら、浮気する男性は、最低です。

 

いずれも、「主部と述部のねじれ」と言われる現象の例です。(1) では、主部(話題)は「私の夢」ですが、述部が「なりたい」となっています。夢が何かになりたいと願うことはありません。この文の言いたいことを汲んで正しく直すと

 

(3)     私の夢は小説家になることです。

 

或いは

 

(3’)    私は小説家になりたいです。

 

となるでしょう。

 (2)は、ある漫画のレビューです(https://sp.comics.mecha.cc/books/111539/reviews?page=3&secret=1&sort=helpful)。これにいたっては「原因は」という主題を受ける述部がない、というねじれが生じているだけでなく、「主人公のお姉さんの横取りした女の子と婚約」という部分が我々の一般常識に照らし合わせても何を言っているか全く理解できない文になっています。その漫画の内容には詳しく触れませんが、該当する部分だけ説明すると、「姉を自殺で亡くした女性が主人公で、姉から婚約者を奪った女とその婚約者に正体を隠して近づき、二人を社会的な破滅に追い込む」という復讐劇です。内容を加味して正すと以下のようになるかと思います。

 

(4)     原因は、主人公のお姉さんから自分を横取りした女の子と婚約しておきながら(さらに主人公と)浮気する男性が最低だからです。

 

まあ、内容はさておき、日本語がかなりおかしなものであったことが分かります。実はこうした「ちょっとおかしな日本語」を書く人が増えてしまっていて、大学でも一年生対象の「国語」や「日本語表現」といった初期指導科目を用意しているところがほとんどです。我々が学生だった二十数年前には考えられなかったことです。注意すべきは、こうした科目がいわゆる日本語の初級者である外国人留学生向けのものではなく、一応大学入試をクリアしたはずの日本人学生対象のものである、ということです。こうした授業が設けられているのはいわゆる偏差値の低い「底辺校」とか「Fラン」と揶揄される大学だけではありません。私の母校である筑波大学でもこうした授業はありました。実際、私も大学教員として論文指導、レポート指導をしていた時に、あまりにもこうした「変な日本語」が多くて驚いたことを思い出します。

 こうした「ねじれ文」が生まれてしまう原因については、主に日本語教育分野の研究者が「1文の長さ」や「本来の主部と述部の距離の長さ」を挙げています。これは、結局のところ、「日本語の構造」に帰される問題です。特に複文(主となる文の中さらに文が埋め込まれている文)は気を付けねばなりません。以下に示すように、日本語の複文は多くの場合、主文の主語(主題)と述語に挟まれる「サンドウィッチ型」になるからです。

 

(5)     私は、[体罰はいけないことだ]と思う。

 

主題と述語の間の「埋め込み文」が長く複雑なものになると、次のように、書いているうち/話しているうちに最初の主題が分からなくなってしまい、近くのものと呼応してしまうのです。

 

(5')  * 私は[体罰は肉体的だけでなく精神的にも人を傷つけるのでいけないことだ]。

 

 その他、よく見られるねじれ文としては、副詞節がどこを修飾するか不明瞭で何が言いたいのかよくわからないものがあります。特に「論理関係」「因果関係」などがよく分からない日本語を書く人も多く見受けられます。例えば次の例を一読して理解できますか。

 

(6)     その暴力はしっかりと生徒の為に気を緩めないようにするためにやったので、先生の自分自身のストレスなどの発散での暴力があり、そのストレスでの暴力だからこそ体罰だと思う。                                                                 (小竹 (2015, 2016))

 

「~ので」が何の理由なのか、全く理解できません。さらに「先生の自分自身のストレスなどの発散での暴力があり」という陳述と、「そのストレスでの暴力だからこそ体罰だと思う」という陳述の関係性もよく分かりません。おそらくこれを書いた大学生の意図を汲んでできる限り正しい日本語にすると(下線部が加筆・修正部分)、

 

(7)     その暴力はしっかりと生徒の為に気を緩めないようにするためにやったので、厳密には体罰とは言えない一方、先生の自分自身のストレスなどの発散を目的とした暴力がある。そうした暴力はストレスを原因とする、教育的な視点の欠けた暴力だから体罰だと思う。

 

大手術によって、最初よりは読みやすくなりました。繰り返しますが、これは「日本語を学習している外国人留学生」の書いたものではありません。れっきとした「日本で生まれ育った日本人」の、しかもまがりなりにも大学入試をクリアした人の書いた日本語なのです。こんな日本語を書くような人たちに外国人が日本語を教わったらとんでもないことになります(その前に、教えること自体できないと思いますが)。

 こうした例を見ると、「日本語母語話者は日本語について万能」とは口が裂けても言えないということが分かります。日本語をしっかり意図通りに用いるには、母語話者でもしっかりとした訓練が必要だということです。同じことが当然英語にも言えるわけです。本当に教育的な知識或いは言語学の知識を十分に持ってALTになっている英語母語話者がごく少数である現状を考えると、今の英語教育は非常に危険な状態であることは間違いありません。

 では、日本人が英語を学ぶ上で大切なことが「ネイティブ主義」でないとしたら、いったい何でしょうか。それは、「基礎体力となる英語」の知識を身につけることです。一般的に、「複雑怪奇な文法を覚えるより、カタコトでもいいので外国人と会話できる能力が付けばいい」と言われます。しかし、学校で学習する英文法は決して「複雑怪奇な」ものではありません。少なくとも、学習指導要領で規定されている文法事項は「標準的な英語」を使用するのに必要最低限の項目です。それでも多くの場合文法は「複雑怪奇な」ものとみなされ、「英語教育を会話中心にせよ」という主張が声高に叫ばれる裏には、「日常会話に文法は不要」という考え方が見て取れるわけです。

 しかし、この考えは誤解であると言わざるを得ません。例えば、典型的な会話表現の “Good morning.”や、“Thank you very much.”ですら、決して文法を無視していないことに注目しましょう。前者には「名詞を修飾する形容詞はその名詞の直前に置く」、後者には「他動詞は目的語を必要とする」、「muchは程度が高いことを表す副詞でthankを修飾する」など、語順や意味解釈にかかわる重要な文法規則が隠れています。これらの一つでも違反すれば、途端にただの単語の羅列となり、意味をなさなくなるわけです。

 さらに、本当に「カタコトの会話」などで十分かどうかは、英語を使用する目的にもよります。確かに、旅行程度であれば、カタコトでも事足りることは多いでしょう。しかしながら、仕事や学問を目的とした場合はそうはいかないのです。高度な目的になればなるほど、語彙・構文の両面で適切な表現の選択を迫られる。そこに文法を無視した「英語もどき」など入る余地はないのです。場面に応じて適切な英語を用いることができない場合、人柄や能力を低く見積もられることすらあるのです。

 日本人は英語のことになると文法知識や読み書きの訓練を英語習得の邪魔者として非難する傾向があります。しかし、その論調のおかしさは、英語を国語に置き換えると分かりやすいと思います。「我々日本人は、みんな日本語で会話できるのだから、学校で読み書きの練習など必要ない。」上の(1), (2), (6)の事例をみて、この論調の乱暴さに気づかない人はいないはずですよね。

 最後に宣伝。ことのは塾は、英語と国語の専門塾です。当塾の塾生は、こんな変な日本語を書く大学生にならないよう、小学生のうちから徹底的に「日本語力」を鍛えられます。正しく言葉を使いこなすことは、思考力の向上につながります。ぜひ1度授業を見に、私の話を聞きに来てください!お問い合わせは、

 

電話: 070-3318-4565

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Website: http://r.goope.jp/kotonohajuku

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よろしくお願いいたします!

参考文献

小竹直子 (2016) 「『ねじれ文』の原因に関する一考察」『愛知産業大学短期大学紀要』第27号、35-46.