ことのは塾のことのはブログ

ことばの専門塾を主宰する在野の言語学者が身近な言葉の不思議について徒然なるままに好き勝手語ります。

英語民間試験導入に絶対に反対する理由

久々の更新です。最近はツイッターの利便性に気が付いてしまい、ついついそちらの方ばかりに意識が向いておりました。

さて、そのツイッターでも散々つぶやいておりますが、私は先日延期になった「英語民間試験導入」に絶対的に反対の立場を取っています。延期ではなく「中止」「廃止」に追い込みたい、本気でそう思って自分なりの行動を続けています。  

世間では萩生田文部科学大臣の「身の丈」失言から一気に認識が広まり、急転直下「延期」となりましたが、ここではっきり申し上げます。民間試験の導入に関する問題は「地域格差・経済格差」だけではないのです。

その導入決定に至るまでの経緯の不透明さ、「教育再生実行会議」や「英語教育の在り方に関する有識者会議」における楽天・三木谷氏や遠藤利明・元五輪相など、「素人」の謎のTOEFLゴリ押し(ぜひ文部科学省のサイトで議事録をご覧ください)、文科省と特定業者(Bネッセ)との癒着にしか見えない関係性、業者の準備不足等、報道で指摘されているところについては読者の皆様もご理解いただいているところかと思います。こうした点についても言いたいことは山ほどありますが、そこは私よりも詳しく説明されている方が沢山いらっしゃるので、ここでは、あくまで言語学・英語学の専門家としての意見を述べたいと思います。

 

1.民間試験を導入しても「英語力」は上がらない

 まず、私には一つも理解できないのですが、どうもこの政策を推し進めた人たちは「センター試験は2技能だからダメ」「民間試験で4技能を測るようにすれば英語力があがる」という共通認識をもっておられるようです。はっきり言います。アホです。だいたい、そんなこと言いつつセンター試験の成績と英語力の相関関係などを示す科学的証拠など一つも出していません。

 確かに、今回導入が予定されていた民間試験の中でもTOEFLやIELTSなど欧米への留学を目的とした試験はセンター試験を始めとした日本の大学入試の英語に比べれば、かなり難易度が高く、一定以上のスコアを出すためには、相当の英語力が要求されます。しかし、それは正直、現在の高等学校の英語教育でカバーできるものではありません。当然、学習指導要領から遥かに逸脱した語彙や表現が多く要求されます(なお、何故か三木谷氏などはTOEFLを「実用英語の試験」とおっしゃっていますが、内容は大学の講義など、いわゆる学術的な英語がびっしり。中身知ってるのか?と言いたいくらい)。国公立の二次試験や私立の個別試験ならいざ知らず、基礎学力の確認を目的とするはずの共通テストはあくまでも指導要領から大きく逸脱してはならないと思います。そうなりますと、現在の状況からして、仮に民間試験の導入が予定通り実施されれば、多くの受験生が申し込むのはそうした海外ベースの試験ではなく、英検やGTECといった日本の試験になるでしょう。ここで大切なのは、今回導入予定だった民間試験はいずれも「今回初めて高校生に向けて実施する試験」ではないということです。多少の形式の変更はありますが、これまで多くの一般社会人・高校生が受けてきたものです。ここで考えてみてください。こうした試験をこれまで自主的に受けてきた受験生の英語力は、一度も受けたことがない人に比べて統計上有意義な違いを生むほど差があるのでしょうか?「教育再生実行会議」や「英語教育の在り方に関する有識者会議」等で、どなたかそうしたことに関心をもって調べた方がいるでしょうか。少なくとも議事録を拝見する限り、おりません。もちろん、全く勉強しない人よりは遥かにできるかと思います。さらに、TOEFL やIELTSなどの受験者が留学を目指して本気で勉強したとすれば、相当の英語力が身につくとは思います。しかし、それは「留学」という目的があって勉強するからこそのこと。そう、仮にTOEFLやIELTSの受験者の英語力が優れているとしても、それはそうした試験が優れているからではなく、その先の留学を見据えた勉強を求められるから、というのが理由なのです。大学受験は目的そのものが違います。また、英検やGTECのように必ずしも留学を目的にしていない試験の場合はどうでしょうか。たとえば、現在大学に在籍する学生のうち英検の「受験経験者」と「受験未経験者」で英語力に差があるということを示す客観的なデータを示して論じている「民間試験導入推進派」は、いらっしゃいますか?管見の及ぶ限りにおいて、皆無です。また、Twitterでこう問いかけた際、推進派の方でしょうか、「そんなものあるわけない。難癖つけるな」という非常に論理的で科学的なリプライを頂きましたが、もちろん難癖ではありません。そのような客観的なデータも証拠もなく大切な国の一大事業たる大学入試センター試験を廃止する方が余程の難癖であり、暴挙です。おそらく両者の成績にそれほど差はないと思いますし、実際に試験のスコアがその人の「英語力」を保証することにはならないと思います。

 なぜなら、日本人学習者は全般的に「試験」となると、その科目の本質を理解し、学ぶことよりも、「合格への最短距離」を行こうとするからです。つまり、英検でもGTECでも出題のパターンや傾向の分析をし、「試験でいかにスコアを出すか」という方に価値を見出してしまう傾向にあるからです。例えば現行のセンター試験は言うに及ばず、国公立大学二次試験、私大の個別試験のいずれも様々な書籍やインターネット上のサイトで「攻略法」が論じられているわけです。ですから、たとえ民間試験を導入しても、こうした「いかに楽に、簡単に点数を取るか」という発想での勉強を止めない限り、スコアの取り方、問題の解き方は上手になるかもしれませんが、その知識のどこまでが「英語力」へと昇華されるかは不透明なわけです。また、これも日本人学習者の多くの悪い癖で、そうした試験で目標となる級に合格したり、目標スコアをクリアすると、もうよほどのことがない限り勉強しません。そのまま繰り返し勉強することはせず、いわば、ペーパードライバーとなります。後述しますが、「英語が出来ないのは学校教育が悪いから」と思っている人のほとんどは、こういう「試験を解くための勉強」しかしたことのない人だと思います。

 

2.大学入試で「4技能」を問う必要性は必ずしもない

 最近こうして入試の諸問題に取り組んでいるせいで、すっかり嫌いになった言葉の一つがこの「4技能」です。もちろん、ここで言う「4技能」とは話す、聞く、読む、書くという言語の4つの側面のことです。特にやり玉にあがるのが、いわゆる「読み書き」です。「日本の学校は読み書きしかやらないから聞いたり話すことができないんだ」というアレです。これもはっきり言います。アホです。これこそただの難癖です。そもそも、こういうことを言う方の多くが現在の中学・高校英語の教科書を見たことがありません。例えば中学校の教科書などは1つのレッスンの半分は会話形式です。中にはレッスンのテーマが「プレゼンテーション」などという高度なものもあります(中学校2年生)。決して読み書きだけをしているわけではありません。以前別の記事にも書きましたが、日本の英語教科書は世間が思うほど悪いものではないのです。例えば、アメリカ人の言語学者であり、東京大学教授であるトム・ガリー(Tom Gally)さんがその著書の中で次のように述べています。「数年前、私は日本の中学生向け英語教科書を校閲した。初級の教科書であったから、使用できる語彙や文型が厳しく制限されており、不自然な表現が若干あった。それでも、全体としては英語が正しく説明されていたし、内容も面白く、良い教科書だったと思う。」(トム・ガリー『言葉のあや』研究社)いかがですか。ネイティブの目から見ても決して日本の教科書が悪いものでないことがわかります。「不自然な表現が若干あった」のは、日本の教科書が、文部科学省が定める「学習指導要領」によって、使用できる単語の数や文法事項などを厳しく制限しているためです。

 さらに、これもはっきり言いますが「読み書きばかりだ」と言う人の中に本当に「読み書きをしっかりできる人」がいたためしはありません。たいてい英語の勉強なんて試験勉強以外やってこなかった人です。

 そもそも、4技能なんて言うからこの4つの側面が独立しているような印象になっていますが、そんな馬鹿な事はありません。それぞれ多少の不均等はありますが、必ずつながっています。つまり、どれか1つだけ飛びぬけてできるようなこともあり得なければ、どれか1つだけ極端にできないなどということもない、それが言語なのです。もう少し具体的に言えば、4つの技能は入力系(reading, listening)と出力系(writing, speaking)にまとめられます。それぞれのペアが比較的結びつきの強いことが推察できます。readingに強い人はlisteningにもそれなりの力を発揮しますし、writingができる人はそれなりにspeakingもできるはずです。

 学生時代に指導教官の先生は、繰り返し「1書きたかったら10読め。1話せるようになりたかったら10書け」とおっしゃっていました。つまり、「1話せるようになりたかったら100読め」ということです。私は仕事柄英語で論文を書きます。ALTの研修では当然英語で母語話者相手に英語の指導法の研修などをします。でも特別な勉強はしていません。ベースは普通の中学校・高校英語です。ただし、中学校から一貫して続けている勉強が二つあります。それは「新たに単語や表現を覚える場合には全て例文で覚える」ということ、そして「毎日英語の本を読むこと」です。英語は言葉です。何らかの形で使えるようにならないと無意味です。でもその場合、触れて覚えて使うというサイクルを繰り返さねば身につきません。一度にすっと頭に入るはずもなく、何度も何度も間違えながら必死に覚えていくわけです。こうしてようやく正しい文法と表現が身につき、正しく読み書きができるようになるわけです。「文法はできるけど読めない」「読めるけど書けない」「書けるけど話せない」などと言う人は、結局その「できると思っている方もあまりできていない」と認識するべきなのです。ですから、4技能的な総合力を測るには、私は必ずしもそのすべてを試験形式で問う必要はないと考えます。現状、国公立大学の二次試験では必要のある学部・学科であれば必ずスピーキング、ライティングの問題は出題されています。一次試験では、リーディング、リスニングの試験となりますが、上で述べたように、4つの側面は互いに連動していますので、リーディング、リスニングの試験で十分その受験生の英語の総合力を推し量ることはできます。つまり、現行のセンター試験+大学の個別試験で十分「高校までの英語学習の成果」は確認できるのです。

 実際に、こうした「4技能」の関連性を実証する研究があります。牧 (2019) (「岐阜大学地域科学部学生のTOEFL iBT得点獲得傾向」『岐阜大学地域科学部研究報告』vol.44, 49-53.)によれば、読解(reading)と聴解(listening)の得点と、話すこと(speaking)と書くこと(writing)の得点には有意な相関関係が見られ、ゆえに読解と聴解の得点から、学習者の話す、書くの能力を推定することが可能であることが示されています(牧 (2019: 53))。「4技能が~」と無駄に騒ぐ前にこうした専門知を無視しないで欲しいものです(本研究についてtwitterで情報を提供してくださった東京大学阿部公彦先生に感謝いたします)。

 

3.「英語教育改革」は「英語ができない爺さんたちの逆恨み」

 ここまでのお話しで、民間試験導入には学術的な根拠がなく、センター試験でも十分英語力は測れることはお分かりいただけるかと思います。最後に触れておきたいのは、英語民間試験の活用を始めとする今回の入試改革は官邸主導で行われているということです。さらに遡れば、「官邸主導=経済界からの要請」ということです。細かいことは一部のTV局や週刊誌が頑張ってくれていますのでそちらにお任せいたしますが、私がここで、このバカな「改革」とやらを推し進めようとした魑魅魍魎諸氏に言いたいのは、

「学問や学術研究及びそれに従事する研究者をバカにするな!」

ということです。小学校英語の導入の際も、民間試験の導入についても、英語教育・応用言語学の専門家の方の中には警鐘を鳴らす方々も少なからずおりました。我々のような理論言語学者も当然、異論を唱えました。しかし、現政権はそうした専門知を積極的に活用するどころか、無視し続けています。重要な会議に専門家がだれ一人いないこともありますし、そうした政府の諮問機関によって話し合われたことが、国会の審議を経ずに閣議決定されてしまうなど、密室で決まってしまうことが多すぎます。今話題が英語民間試験から共通テストの記述問題(国語・数学)に移っていますが、本質は変わりません。自分たちに都合の良い働きをしてくれるであろう「御用学者」や教育・言語・試験に関する専門知識を全く持たない素人「有識者」が力づくで進めるわけです。こんなバカな連中に日本の教育、学術研究が破壊されているのだということをもっと一般の方に広めていく必要がある。私は、研究者として、大学教員の末席を汚すものとして、現状は絶対に許せないのです。

 この裏には、予算配分を握る財務省の圧力も忘れてはいけません。財界からの圧力を受けた財務省文科省に圧力をかけ、そして文科省は大学に圧力をかける。さながら食物連鎖です。文科省を少しだけ擁護すると、教育・学術研究に対する予算は年々厳しくなっています(トウモロコシ買ったり、防衛費増やしたりはできるのに)。そこで、確実に予算を取るために文科省は知恵を絞る必要があるわけです。そこで「金のなる木」として毎回利用されるのが英語なわけです。「こうすれば日本人が英語できるようになるよ!」と、できもしない花火を打ち上げる必要があるわけです。

 しかし、教育は国家百年の計と言われるほど、国の大切な柱の一つです。それを、どう考えても、英語のできない社会的に地位だけは高い連中の「逆恨み」で破壊されるのを黙ってみているわけにはいかないのです。そういう連中に限って「中高大と10年近く英語を勉強したのにできないのは教育がおかしい」と言うのです。じゃあ、あなた方、まさか中学生から高校生にかけて毎日1日も休まず英語を勉強したんでしょうね??教科書のまる覚えくらいやりましたね??大学入試まで毎日英単語は例文で覚えて語彙力10,000超えしましたよね?それくらいやって一つも話せないわけないんですけど。さらに、「英語の教育はダメ」だったとしたら、そうでない数学は万遍なくできるのですか??国語に関しても、日本語で人並み以上に論文の1本や2本書けるのですよね?あなたたちが新聞や雑誌などに寄稿している「論文」、ただの下手くそなエッセイですからね!私が指導教員なら完璧にボツです。なのに、なぜ英語だけなのですか?英語なんかよりも「云々」を「でんでん」って読んでしまうそのお粗末な国語力の方が大問題だと思いませんか??

 正しく認識していただきたいことは、母語の能力を超えて、外国語の能力を身につけることはできないということです。本当に国が「英語を使える日本人」を増やしたいのなら、①母語である日本語をしっかり身につけさせる教育をすること、②正しい言葉を使用できるよう英文法教育を充実させること、③徹底的に読解力を高め、抽象的思考に耐えうる語彙力を身につけること、の3つが大切だと私は思います。もう少し踏み込んで言ってしまえば、今述べた①~③を目標とするレベルや分野に応じて個人が好きなだけやればいいのです。最終的には目標に応じた分野やレベルの英語(English for specific purposes)をやるべきであり、 学校はその基盤を提供する場であるべきなのです。必要のない人に必要のないことを課す必要はないのです。

 とにかく、まだまだ新テストの廃止のために闘います。