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ことばの専門塾を主宰する在野の言語学者が身近な言葉の不思議について徒然なるままに好き勝手語ります。

堀江貴文氏のツイートから見る語用論

「前の席のクソ野郎がおれが寛いでいるのにもかかわらず一々 『席を倒していいですか?』とか聞いてきやがる。ウゼェ。勝手に倒せや。そうやって何でもかんでも保険かけようとすんなボケ」

 

これ、ある方のツイッターのつぶやきです。そう、堀江貴文氏です。彼はたびたび刺激的なツイートでネットニュースを騒がせておりますが、これも最近話題になったツイートです。詳しくは以下のリンク先がきれいにまとめてくれていますので、参照ください。

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12184-41501/

 

さて、ここではネットでの論争のように「席を倒すときに声をかけるべきか否か」を論じるつもりはありません。個人的には堀江さんの全くの赤の他人に対する「クソ野郎」「ボケ」といった品性も知性のかけらもない表現を好むツイートは嫌いですが、ここではそういうことを論じるつもりもありません。

 

ここでは、堀江さんを気遣って声をかけたつもりの「席を倒していいですか」が何故こんなにも堀江さんの逆鱗に触れてしまったのか、前回に引き続き語用論という観点から言語学的に考察します。

 

考察の道具立てとして、Brown and Levinson (1987) のポライトネス理論を紹介します。ポライトネス (politeness) とは、簡単に言えば、会話の参与者がお互いの「フェイス(自己決定・他者評価の欲求)」を侵さないために行なう言語的配慮のことです。ここでいう「フェイス」は、いわば「メンツ」のことで、次のように二つのフェイスが想定されています。

 

 a. ポジティブ・フェイス

  他者に理解されたい、好かれたい、賞賛されたいという「プラス方向への欲求」 

 b. ネガティブ・フェイス
  賞賛されないまでも、少なくとも、他者に邪魔されたり、立ち入られたくないという「マイナス方向に関わる欲求」

 

ちなみに、ここで言う「ポジティブ」「ネガティブ」は、決して「肯定的」「否定的」という意味ではありません。欲求の方向くらいに捉えておくのが妥当です。つまり他者に「近づきたい欲求」が、ポジティブ・フェイスで、他者と「距離を置きたい欲求」が、ネガティブ・フェイスです。誤解を恐れず非常に単純化した言い方をすれば、我々は他者とコミュニケーションを進める際に、状況・場面に応じ、相手の「フェイス」を侵さぬよう(つまり、相手のフェイス欲求を満たすよう)配慮している、ということになります。

 

一つ例を挙げます。例えば日本語では、相手に何かを依頼する場合に「~してください」、「~してくれますか」、「~してくれませんか」などの言い回しがあります。

 a. 静かにしてください。

 b. 静かにしてくれますか。

 c. 静かにしてくれませんか。

皆さんは、電車の中で大声で話す見知らぬ人に注意を促す場合、上のどれを使用しますか(トラブル回避のため無視する、という選択肢が最も安全ですが)。おそらく、c の表現が一番無難に響くのではないでしょうか?a. はある程度顔見知りであるとか、何度か注意しても聞いてくれなかった相手などに用いますね。疑問形式ではなく、平叙文になっている文、相手のフェイスに侵すストレートな物言いになっています。b. と c. は疑問形式になっており、言語形式上は相手にYes/Noの判断を任せる形になっています。つまり、話者の意図は相手に対する要求ですが、疑問文という言語形式上相手に「嫌です」と断る余地を提供していることになります。その意味で、両方とも相手のネガティブフェイス(他者に邪魔されたくない欲求)に配慮した言い方になっています。特に、c.は「静かにしない」ことを前提とした言い回しになっていますからその分、b よりも一層「あなたの邪魔はしませんよ、立ち入りませんよ」というネガティブフェイス(他者に邪魔されたくない欲求)に配慮した言い方になっていることがよくわかりますね。こういったわけで、上のような状況だとcの選択が無難な語用論上のストラテジーということになるのです。逆に上司-部下や先生-生徒の関係で上の立場の人からの発話であれば、よほどのことがない限り、a. の言い回しで十分、ということになります。

 

さて、こうした観点からもう一度冒頭の堀江氏のツイートを見てみましょう。

 

「前の席のクソ野郎がおれが寛いでいるのにもかかわらず一々 『席を倒していいですか?』とか聞いてきやがる。ウゼェ。勝手に倒せや。そうやって何でもかんでも保険かけようとすんなボケ」

 

このツイートの堀江氏の言葉からははっきりと「邪魔するな」「立ち入るな」という、ネガティブフェイスの欲求が読み取れます。記載されている声かけ「席を倒していいですか」は許可を求める発話で、言語形式としては疑問文の形式をとっています。つまり、事の是非(Yes/No)を相手に委ねているという点でネガティブフェイスを考慮した物言いになっています。つまり、一見するとポライトネスのストラテジーに合致しているにも関わらず堀江氏は激怒するわけです。何故だかわかりますか?そして、この対応にもネット上で堀江氏の気持ちに同意する人、批判する人の両方がいます。何故でしょうか?

 

これは、堀江氏の要求するフェイスと、前席の人の考慮するフェイスとの間にずれがあるからだろうと考えられます。堀江氏のフェイスは、そもそも話しかけられたくない、というネガティブフェイスが全面に出ています。そこに、前席の客は「~してよいか」という相手の返答を要求する発話で話しかけてしまったのですから、堀江氏側の立場としてはフェイスに侵入された、つまりは「メンツをつぶされた」ことになるのです。このように自分の要求を満たされなかったことに激怒したわけですね。「無許可では失礼」という配慮が、堀江氏の要求するフェイスとずれていた、ということです。

 

では、前席の乗客はどうすればよかったのか?仮に「勝手に倒せ」という堀江氏の言葉が本音であるなら、勝手に倒せばそれでよかった、ということになるかと思います。しかし、一般的に言って、背もたれを倒すことは、相手の空間領域を削る、制限することになりますから、黙っておこなうことに抵抗を覚える人もいると思います。この場面では、

 

「すみません、座席たおしますね」

 

と言って、さっさと倒してしまうのがベストです。最低限のマナーを保ちながら、相手には返答を要求せずに済ませてしまうのです。こうすれば、返答を待つ必要はないので堀江氏の「邪魔をするな」「立ち入るな」というネガティブフェイスを最低限度保つことができます。これでいけば堀江氏ががこんな乱暴なツイートをしなくて済んだかもしれません(勝手に倒したら倒したで「断りもなしに倒すなやボケ」とか言われそうですけどね)。

 

現実には、今回の前席の方のような聞き方をするのが一般的であろうと思います。しかし、ネット上で賛成意見も少なからずあったということは堀江さんのような考えの人がいるのも事実ですから、今後は席を倒す前に後ろを見て、その客が「話しかけるなオーラ」を出しているかどうか見極めねばならないのかもしれませんね。コミュニケーションが難しい時代になったものです・・・。