ことのは塾のことのはブログ

ことばの専門塾を主宰する在野の言語学者が身近な言葉の不思議について徒然なるままに好き勝手語ります。

走り込みと例文暗唱

まだ数日ですが、走り込みの効果は着実に出ています!

今日は、非常勤講師として勤務する大学での講義終了後、学生達とソフトテニスに興じた私。3週間前は、30分もしないうちに息が乱れ、苦しくて仕方なかったのに、今日はそんなこともなく2時間乗り切りました。

コツコツ走り込んだ結果と言うにはまだ早すぎですが、それでも実感として効果あり、です。

これ、英語の勉強にも当てはまる事があります。それは語彙力の増強。

よく、簡単に覚えられる方法ないか?と聞かれますが、私自身は簡単に、楽に、という観点で英語の勉強をした事がないので、そういう質問には答えられません。

ただ、本気でやるなら、という観点なら絶対にやって欲しい事があります。それは、例文の暗唱です。これをコツコツと続けるだけで、高校生の模試なら必ず偏差値70は突破します。もちろん、そんなに簡単には続けられませんし、ある程度の期間を要しますが、効果は必ず現れます。

例えば、我が塾生の例ですと、入塾前の英語の全国偏差値が56だった子が、3ヶ月で62、さらにその2ヶ月後の試験では65を突破。現在は73です。毎日やるように指示をしているのは、英単語を例文で覚えることだけ。もちろん、どんな例文を覚えるべきか、どうやって記憶の定着を図るかは、企業秘密です(笑)おかげで、教室での指導もかなり高度な事に手が出せるようになりましたので、ますます上がると思います。

基礎体力にはランニング、英語の基礎学力には、例文暗唱です。さあ、また明日も走ろう!

宣言!走る!もう走った!続けます!

2週間ほど前、数年ぶりにソフトテニスをしました。

 

以前は少なくとも週2日程度はしていたのですが、しばらく機会を逸していました。が!有り難いことに塾生の弟さん(中学生、ウチの集中授業にも出てくれたことがあります)とする機会を頂きました。

 

いや、もう、信じられないくらい、動かない(笑)身体が重い、脚が動かない、息が切れる(笑)

 

せっかく楽しみにしていたのに、思っていた以上に体力が落ちていて自分に失望。でも、やはり楽しい。もっとやりたい!

 

と、言うわけで、毎日とりあえず走ることにしました。

 

今年から非常勤でお世話になっている東京の某私大でもソフトテニスサークルにお邪魔することになり、さらには今年大学に進学した塾生ともする機会ができそうで。

 

今年はリハビリ期間として、基礎体力の回復と少しでも多く球を打つことにします!

 

ことのは塾は、ソフトテニスができる人もできない人も歓迎しますよ!でも人数ある程度集まったら、「ことのは塾ソフトテニス部」作りたい、そう本気で思っています(笑)

 

 

ことばの解釈は、受け取り手次第

前回、イチロー元選手の記者会見での言葉を取り上げました。その際、私は「新聞記事になる、ということは一種の伝言ゲームです。音声記録を全て文字に起こして記事にする場合は構いませんが、そうでない限り、どうしても自分の発した言葉に受け取り手である記者の『解釈』が入ります。」ということを述べました。今日は、「解釈(Construal)」をテーマに「言葉の怖さ」を伝えられたら、と思います。

 

 ちょっと古い記事を取り上げます。2012年のロンドンオリンピック女子サッカーに関する記事です。2012年7月28日にグループリーグでスウェーデンと対戦した日本は0-0の引き分けになりました。以下は翌日(2012年7月29日)の各スポーツ新聞の記事です(以下の引用記事内における澤穂希さんの表記は新聞掲載のままです)。

 

(1)       『スポーツニッポン』の記事

            それでも2試合を終えて1勝1分けは悪くない結果で「引き分けはノリさん(佐々木監督)の思惑通りじゃないですか」と前を向いた。

(2)       『サンケイスポーツ』の記事

            引き分けは結果的に『吉』との見方もある。「ノリさんの思惑通りいったんで、よかったんじゃないですか」とニヤリ笑ったのは沢だ。

(3)       『日刊スポーツ』の記事

            沢でさえも「ノリさんの思惑通りだったのでは」と、ドローに終わった試合を、皮肉を込めて振り返った。選手と監督との認識のズレは鮮明になった。

(4)       『スポーツ報知』の記事

            試合後、MF沢は「引き分けはノリさんの思惑通りじゃないですか。私には分からないんで」と皮肉たっぷりに話し、厳しい表情で去った。

 

読んでお分かりの通り、四紙とも引き分けという試合結果に対する澤穂希選手(当時)のコメントを取り上げています。ところが、興味深いことにその捉え方、つまり、「解釈」には違いが見られます。

 

まず、(1)のスポニチさん、(2)のサンスポさんは澤さんのコメントを好意的(ポジティブ)に捉えています。特にサンスポさんの方でそのことがより強く読み取れます。一方、(3)の日刊さん、(4)の報知さんの記事は論調がガラッと変わって悲観的といいますか、ネガティブな捉え方をしています。(3)では「皮肉を込めて」や「選手と監督との認識のズレ」という言葉から分かるように、あたかも試合の結果および佐々木監督の作戦指揮に対して澤さんが不満を述べているかのように書かれています。(4)における「皮肉たっぷりに」や「厳しい表情で」も同様ですね。ここからも分かるように、結局新聞というメディアを通して我々に伝わるのは試合結果に対する「澤選手自身の捉え方」ではなく、「このニュースを取材し、まとめた記者(或いはその所属する新聞社・編集者)の捉え方」であるということが分かります。では、なぜこのような「捉え方の違い」が生まれてしまうのでしょうか。

 

実はここには「期待値」が大きく関わっています。それぞれの記者・新聞社には取材対象に対する何らかの「期待」を持って接します。その「期待」に照らし合わせてコメントを解釈するのです。

 

分かり易い例で考えましょう。皆さんがお小遣いや賞与をいただいたときのことを思い出してみましょう。例えば、子供のころ親戚にお小遣いをもらったとします。金額は1,000円です。この状況を言語化する場合、次の3つの言い方が考えられます。

 

(5)       1,000円もらった。

(6)       1,000円もらった。

(7)       1,000円しかもらえなかった。

 

同じ状況を表しているはずなのに、随分印象が異なりますよね。(5)は最も無色透明な言い方です。事実をそのまま述べた形です。対して、(6)は「も」という表現から推察できるように、「こんな金額をもらえるとは思わなかった」という話者の「期待」が反映されています。その期待とは、「お小遣いがもらえるとは思っていなかった」、或いは、「お小遣いを期待していたが、その金額は1,000円未満だと思っていた」ということになりますね。いい意味で「期待外れ・予想外」だったわけです。逆に(7)は「しか」という表現から分かるように、悪い意味で「期待外れ・予想外」だったことを意味します。「もっともらえると思ったのに」ということですね。

 

このように、我々はいつも何かにまっさらな状態で接するわけではなく、背景知識や経験則から何らかの「期待」をもって対象に接します。これを先ほどの記事に当てはめて考えてみましょう。

 

まず、澤さんのコメントを好意的に報じている(1)のスポニチさん、(2)のサンスポさんは、引き分けという試合結果に対して少なくとも「期待外れ・予想外」という前提ではなかったのです。それに対し、一般的に読者・ファンは勝利を期待していただろうと考えるのが普通です。ですから、その結果を報じるにあたって、「勝利を望んでいたはずの一般読者をがっかりさせたくない」という思いが働きます(もちろん、これは善意ではなく、新聞の売り上げという観点でしょう)。そこで、「引き分けは悪くない結果」と報じる根拠として澤さんのコメントを解釈することになります。つまり、「引き分けだったけど、悪くない結果だ。だって澤さんも『監督の思惑通りだ』と言ってるのだから」という論理です。

 

それに対し、澤さんのコメントをネガティブに報じている(3)の日刊スポーツさん、(4)の報知さんは、引き分けという試合結果に対して「期待外れ・予想外」という前提なのでしょう。ですから、澤さんの「ノリさんの思惑通り」という言葉をそのまま受け入れるわけにはいかないのです。そのまま受け入れてしまうと、自分たちの前提である「期待外れ」という思いと一致しないからです。「引き分けが監督の思惑通りのはずがない。澤選手は皮肉を言っているんだ」という論理です。もっと言えば、「なでしこジャパンが引き分けなんておかしい。何かあるはずだ。きっと監督と選手の間で軋轢でも起こっているのではないか。なのに『思惑通り』はおかしい。そうか、皮肉だ。」という論理です。

 

2つの立場の、いずれの解釈も澤さんの言葉を「自分たちに都合の良いように解釈している」という点で共通していることがお分かりいただけると思います。ですから、どの紙面にも澤さん自身の本当の気持ちは反映されていないかもしれないのです。どうしてこうなるかと言いますと、新聞記者には「事実を伝える」という側面の他に「読者を惹きつける(=売れる)記事を書く」という側面があるからです。一般紙よりもスポーツ新聞には後者の側面が大きく反映されることがあります。つまり、極端な話、「事実をどう伝えれば面白い、売れる記事になるか」という記者、或いは編集者の主観が相当に入り込む形になるのです。つまりは「事実の加工」です。編集者の思惑次第でどうにでも加工されてしまうわけです。これが行き過ぎると「ねつ造」になるのは言うまでもありません。スポーツ選手や芸能人の言葉が時と場合によって様々な誤解を生むのはこういう理由です。

 

ですから、我々は一つのものごとを理解するのに一人の人や一つの媒体の目を通した情報に頼っていてはいけないのです。同じことを様々な角度で見ることが必要です。複眼的視点とでも言いましょうか。これが非常に大切になるわけです。では、最終的にどのような情報を選択すればいいのか、と申しますと、結局は「自分の目で耳で確認したこと」が最も信用できるということになります。自分の目や耳で確認できない情報については、最も自分に都合の良い情報を選んでしまうのが人間の性でもあるのです。そこを理解したうえで情報を取捨選択していくこと、判断をしていくことが大切なのではないかと思います。

 

これは自分が人に何かを伝える際にも当てはまります。自分の言葉も相手が自身の都合の良い解釈をするであろうこと、そしてその解釈はその相手が自分に対してどのような期待値を持っているかにより大きく変わりうること、このことを心得ておく必要があります。

 

こう考えると、何故イチローさんが慎重な言葉選びをするのかがよく分かります。世の政治家たちは弁士を名乗るくせに言葉の怖さを知らない、或いは舐めているから、不用意な発言で釈明に追われたり、最悪の場合辞任に追い込まれることになるのです。

イチローさんの言葉選び

ついにこの日が来たか、という感じです。2019年3月21日、メジャーリーガーのイチロー選手こと鈴木一朗氏が現役引退を発表しました。

彼と私は生まれ年も生まれ月も全く同じ。彼の引退によってついに同学年のプロ野球選手はいなくなりました。実は、こうなるかもという予感が働いたのでしょうか、3月18日に東京ドームで巨人とマリナーズプレシーズンマッチを観戦しました。元々予定していたわけではなく、偶然です。4月から非常勤講師としてお世話になる予定の私大にお邪魔していたのですが、帰り道に何となく「当日券あるかな?」と思い浮かび、東京ドームに立ち寄ったのでした。特にファンというわけではないのですが、年齢が一緒のメジャーリーガーの(少なくとも日本では)最後となるであろうプレーを少しでも見られれば、という思いで観戦しました。観に行って良かったと心から思います。

 さて、本題です。イチロー選手と言えば、スポーツ紙の記者から、取材対象として「記者泣かせ」の選手であり、一部には取材が「地獄だった」とされることもあります(『デイリースポーツ』)。その独特の(と言われる)言葉の言い回しは「イチロー節」とも称されます。今回は、そんなイチロー選手の引退記者会見の中で気になった言葉を1つ取り上げ、簡単に分析したいと思います。

 

◎「1軍に行ったり来たり」

イチロー選手の記者会見で一番感銘を受けたのは、「言葉選びの慎重さ」です。新聞記事になる、ということは一種の伝言ゲームです。音声記録を全て文字に起こして記事にする場合は構いませんが、そうでない限り、どうしても自分の発した言葉に受け取り手である記者の「解釈」が入ります。なるべくそうした記者独自の解釈が入る隙間を作らないように(つまり、誤解を招かないように)という配慮が言葉の節々に出ているように感じました。

 さて、そんな慎重な言葉選びの一端が良く表れている受け答えがありました。「ケン・グリフィーJr.が肩の力を抜いた時に違う野球が見えて楽しくなるという話をされたんですけど、そういう瞬間はあったのか」という質問に対して、イチロー選手は次のように答えます。

 

「ないですね。これはないです。ただ、子供の頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って。最初の2年、18、19の頃は1軍に行ったり来たり。『行ったり来たり』っておかしい? 行ったり、行かなかったり? 行ったり来たりっていつも行ってるみたいだね。1軍に行ったり、2軍に行ったり。そうか、これが正しいか。そういう状態でやっている野球はけっこう楽しかったんですよ。」

 

今回私が着目するのはこの「行ったり来たり」です。何故イチロー選手はこの表現に対して違和感を覚え、最終的に「1軍に行ったり、2軍に行ったり」という表現に直したのでしょうか。

 

おそらく、ここで本来イチロー選手が言いたかった言葉としては「1軍と2軍を行ったり来たり」ということだったのだろうと思います。もちろん、「1軍に行ったり、2軍に行ったり」がおかしいということはありません。むしろ、後述するように、引退記者会見の発言ということからすると非常によく分かる表現です。それぞれを図式で表すと、以下のようになるかと思います。

 

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以下の説明は、言語学上の厳密な定義に基づくものではないことをお断りしておきます。あくまで話し手である「私」が「行く」「来る」場合ですが、「行く」の基本義は「話し手が現在いる場所を起点にしてどこかへ移動すること」になります。一方「来る」は「別の場所を起点に話し手のいる場所に向かって何かが移動すること」になります。

 これに基づくと、イチロー選手が最初に「1軍に行ったり来たり」という表現を使った際に自分で違和感を覚えたのは、「話し手のいる場所が定まらないから」ということになります。つまり、「1軍に行ったり」だけなら起点、つまり当時のイチロー選手のいる場所は「2軍」ということになります。つまり、「2軍にいたイチロー選手が1軍に移動する」ということになります。逆に「1軍に来たり」であれば起点は「2軍」でイチロー選手のいる場所は「1軍」ということになります。いずれにせよ、これだとイチロー選手自身が指摘したように結局移動先は「1軍」ですね。

 それに対し、言い直した「1軍に行ったり、2軍に行ったり」というのは上の図(2)のように話し手(現在の自分)を起点に1軍、2軍に向かう表現になりますので、ぐっと違和感は減るわけです。この表現の場合、自分を1軍にも2軍にも置かない形になりますので、引退会見という場に身を置く話し手が客観的に振り返って述べている感じが非常によく伝わるのです。

 順番は前後しますが、最後に(1)の「1軍と2軍を行ったり来たり」の場合です。この場合、視点は1軍・2軍どちらにおいても構いません。「1軍と2軍」というように移動の起点或いは話し手の視点を置く場所になりうる点を両方明示していますので、「1軍を起点に2軍へ行く」、「2軍を起点に1軍へ行く」、「2軍を起点に1軍へ来る」「1軍を起点に2軍へ来る」いずれのケースも含まれることになります(そういう意味では非常に曖昧な表現であるとも言えるかもしれません)。ですので、なかなか1軍に定着できなかった当時のイチロー選手の状況としてはこれが一番分かり易いかと思われます(こうした「来る」「行く」を専門とした研究をされている方からすると不十分な分析かと思いますが、直感的にはこれで十分理解はできるかと思います)。

 こういう言葉の選択一つをとっても、言葉を慎重に選んでいることが分かりますよね。

 

詐欺メールのおかしな日本語

今回は、詐欺メールへのツッコミです。これをお読みの皆さんも、PCやスマートフォンにいわゆる「迷惑メール」が届くことがあるかと思います。明らかに心当たりのないものが多いのですが、中にはうっかりすると騙されてしまいそうになるものもあります。今回は私によく届く3つのメールを取り上げ、「日本語のここを見ると騙されずにすむ」というポイントを紹介します。

 

 

1.「ゆうちょ銀行」を騙るメール

先日、プライベートで使用しているPCのメールに次のようなものが届きました。差出人は「ゆうちょ銀行」、タイトルは「ゆうちょ銀行からのご連絡」となっています。

 

ゆうちょ銀行をご使用いただき、ありがとうございます。 今回、お客様のゆうちょ銀行のアカウントが第三者によって不正にログインされた可能性が高いです。お客様の資金安全を確保するため、このメールを送信しましたが、ご本人の登録でしたら、このメールを無視してください。本人登録で なければ、直ちに対策処理をしてください

本人登録出ない場合の対策処理のURLは下記の通りです。

 

ふむふむ、それは大変だ、さっそく手続きを….となるかいっ!!!!

まあ、普通の人が読めば何か違和感を覚える文面ですよね。

 

まず、こんな特定の個人向けの大切な話を「宛名」もなしに送り付けてくることはありません。例えば、実際に不正ログインを受けたことのある楽天からは、きちんと私の個人名を宛名として表記した文で通知が来ました。きちんとした企業からの本物のメールであれば、いわゆる客・会員一般へ宛てたメールに「お客様各位」程度の記載はあるでしょう。まして、個人宛てのメールに個人名が記載されないことはありません。

 

次に「アカウント」という表現です。ここで言う「アカウント」って何を指しているのかよく分かりません。何かの会員のアカウントでしょうか?それとも銀行口座という意味でのアカウント(bank account)でしょうか?ちなみに、私はゆうちょ銀行を利用しておりませんので、後者の意味でないことは確かです。

 

そして、極めつけは、へたくそな日本語です。これが本物のメールだとしたら、ゆうちょ銀行および日本郵政グループの恥さらしです。関係者は切腹ものです。「不正にログインされた可能性が高いです」って子供のような書き方です。さらに、「ご本人の登録」って何でしょう?何だかは分からないけれども、すでに登録してあるからログインするんじゃないの??意味が分かりません。

 

最後に本文に添付されているURLです(ここでは載せません)。中にjp-bankだのjapanpostだの本物をアピールするこのような文字がありましたが、後半は不正サイト得意の意味不明なアルファベットと数字の羅列です。怪しさ倍増です。

 

2.「LINE」を騙るメール

最近、LINEを騙る偽物メールもよく届きます。これも、上の「偽ゆうちょメール」と同じく日本語がおかしいのですぐにわかります。こちらの文面はこのようなものです。ちなみに件名は「LINE緊急問題」です(笑)この段階で既に噴飯ものです。

 

お客様のLINEアカウントに異常ログインされたことがありました。お客様のアカウントの安全のために、ウェブページで検証してお願いします。

こちらのURLをクリックしてください。安全認証

 (筆者注 ここに偽サイトURL)

この時、旧端末のLINEへ公式アカウント(LINE)から「他のスマートフォンであなたのアカウントが使用されようとしています」というメッセージが届きますが、もちろん自分で操作していることなので、そのまま手順を進めましょう。

  

「異常ログインされたことがありました」って完了形を習い始めたばかりの中学生の和訳みたいですね。「ウェブページで検証してお願いします」って何でしょうか(笑)何を検証して、何をお願いされたのか分かりませんので、何もしませんでした。「もちろん自分で操作していることなので、そのまま手順を進めましょう。」子供への指示文ですね。企業が顧客へ指示する文面ではありません。そもそも私はLINEをPCで利用することはないので、常に他の端末へのログインを不許可として設定しています。万が一不正アクセスを試みられた場合にも、PCのメールではなく、スマホのLINEに通知が来ますが、上のメッセージにあるような文面ではありません。

 

3.「OCN」を騙るメール

今、この記事を執筆中に届きましたので、追加します(笑)文面はこんな感じ。

 

お客様各位 親愛なるOCNユーザーこのメッセージは、あなたのOCNアカウントがブロックされないように、新しい機能にアップグレードする必要があることを通知することです。親切に以下のリンクをクリックし、ページにログインしてアカウントをアップグレードしてください OCN電子メールアカウントを再度アクティブ化するには、ここをクリックしてくださいこのメールは、フォローアップすることが義務付けられていますが、そうしないと、アカウントが最後に閉鎖されます。

ご挨拶、OCN電子メール管理者 

 

 もう改行も句読点もめちゃくちゃ。「このメッセージは、あなたのOCNアカウントがブロックされないように、新しい機能にアップグレードする必要があることを通知することです。」これは「ねじれ文」ですね。「このメッセージは…通知することです」となっていますので、主題と述語がうまく対応していません。「通知するものです」なら分かります。さらに、「親切に以下のリンクをクリックし」って、親切にクリックって何ですか??(笑)ソフトタッチでクリックするのか??タッチパネルじゃないんで無理です…。本文最後の「そうしないと、アカウントが最後に閉鎖されます。」も子供がいたずらしたような文面ですね。「ご挨拶、OCN電子メール管理者 」に至っては、もう偽物であることを自ら証明しているような書き方です。ビジネス文書も書いたことがないのでしょうか。本物ならOCNを運営しているNTTコミュニケーションズは関係者全員切腹です。この偽メールの唯一素敵なところは、誘導するはずのリンク先URLが貼り付けていなかったこと(笑)詐欺にもならないタダのいたずらメールです。

 

いかがですか?今回取り上げた3つの例に共通するのは「雑な(おかしな)日本語」です。表現のおかしな日本語ばかりなのはもちろん、日本語に特有の前置き表現「恐れ入りますが」「大変お手数ですが」や「何卒ご理解、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。」など顧客への気遣いを示す表現は一切含まれていません。おそらく何らかの外国語表記の文面を質の悪い自動翻訳で日本語に置き換えたのだと思います。大手企業からこうした「普通のビジネスマナーに則さない文面」が来ることはありません。こうした、読者に違和感をもたせるような文面のメールを見た瞬間に違和感を逃さず捉えることができるようにしましょう。自信のない方は、同じ文面を誰かほかの人にも見てもらいましょう。二人に見せて二人とも「正しい日本語」と判断されない日本語のメールは100%ニセモノです。

 

ことのは塾では現在3月25日-4月4日に開催される春期集中講座の受講者を募集しています。こういうおかしな日本語を書かないよう、そして簡単に詐欺メールを見抜けるよう、一緒に勉強しませんか??問い合わせは

 

070-3318-4565

kotonoha_language@helen.ocn.ne.jp

 

まで。何卒よろしくお願いいたします!!

「おこがましい口の利き方するな」のおこがましさ

今日は、最近ネットを騒がせていることについて簡潔に書こうかと思います。

芸人のウーマンラッシュアワー村本大輔氏についてです。

氏は最近、漫才に積極的に時事問題を取り入れたり、ツイッターなどSNSで政治的発言をすることで話題(炎上?)となっています。

まあ、彼の政治的な発言については色々思うこともあるのですが、ここでは彼と高須クリニック院長・高須克弥氏とのやり取りにおける村本氏の言葉について取り上げます。

 

2019年2月25日(まさしく本日)のツイッターで、村本氏は高須氏の「彼は育ててタニマチをやろうとしている僕の意図がわからずネタにして嘲笑して生き残ろうとしている」という自分への批判に対し、「タニマチとか育てるとか、おれにおこがましい口の利き方するな」と返し、炎上しているようです。

 

www.sanspo.com

 

私自身はツイッターを今のところ使っていないので、限られた知識しかありませんが(筆者注 3月に入ってから、ツイッター始めました!)、どうもツイッターというのは文字数が制限されている分(日本語は140字)、言葉が単純化するようです。短い言葉で自分の言いたいことを表現することになりますので、文章能力の高低が如実に表れることになります。村本氏のツイッターをざっと閲覧してみると、他者とのやり取りの際に(特に自分に批判的なツイートに対し)乱暴な物言いになる傾向があるようです。

 

さて、今回は上で引用した「おこがましい口の利き方をするな」というツイートをとりあげます。

 

そもそも「おこがましい」とはどのような意味の言葉でしょうか?辞書的な意味を見ると(『広辞苑 第六版』)、

 

(1)     出過ぎている。さしでがましい。なまいきだ。

         

とあります。これだけでも村本氏が年長者である高須氏へ使用するのに憚れる言葉であることが分かります。年長者に対し「なまいきだ」というわけです。

 

しかしながら、さらに基本的な使い方を間違えていることにも気を付けねばなりません。

 

確かに、「おこがましい」という言葉は、「なまいきだ」という意味で、相手の行動に対して注意を促したり、批判したりするときに使われることがあります。しかし、多くの場合は、謙遜の意味を込めて自分の言動に対して使われます。

 

(2)     自分で言うのもおこがましいのですが、…

(3)     おこがましいお願いをして申し訳ありません。

 

などです。

 

要するに自分のことを「なまいきだ」とすることで相手を立てる「謙譲表現」ということになります。ですので、今回ように、38歳の村本氏が、74歳と明らかに年長者である高須氏に向かって使用すること、それ自体が人生の先輩に対する言動として大変おこがましいことであると言えます。かなり生意気です。

 

どうも、ツイッターであれこれ発言し、炎上する有名人は言葉が乱暴である人が多い気がします。実数を数えたわけではありませんが、堀江貴文氏のツイッターだと「ボケ」「バカ」がやたら出てきます。どこまでも自分中心なのでしょう。いわゆる問題動画などをアップする「バカッター」とたいして変わりません。せっかく自分の意見を不特定多数の人に伝えることのできる便利なツールなのですから、けんか腰ではなく、読む人が不快にならない言葉遣いにするだけで、耳を傾ける人の姿勢が変わるのはもちろん、そもそもアクセスしてくる読者層が変わるのではないかとも思います。

 

私も時々こうして毒を吐きたくなりますが、できるだけ穏やかに、論理的に毒を吐こうと思います。

不可算名詞が可算名詞に変身するとき

 

今回は毒を吐きません(笑)いつものように、穏やかにことばの面白さを語りたいと思います。

 

 先日、現在中学校で教員をしている教え子から質問を受けました。「風」を表す wind を使用するのに、wind を数えられる名詞として(a wind 或いはwindsの形で)用いるべきか 、数えられない名詞として(windの形で)用いるべきか、使い分けがよく分からない、という質問でした。

 良い質問ですね。読者の皆さんは英語の名詞を辞書で引いたとき、戸惑うことがありませんか?よく辞書を引く方はお気づきかもしれませんが、一般名詞の多くが数えられる名詞(可算名詞 C)としての用法と、数えられない名詞(不可算名詞 U)としての用法を持っているのです。典型的な不可算名詞として認識されている water 「水」ですら、「領海(海域)」という意味になると American waters 「米国の海域」のように、複数形をとったりします。

 実は、英語名詞の「可算」「不可算」は単語ごとに固定で決まっている用法ではありません。使い方(文脈)次第でどちらにでもなれる場合が多くあります。

 では、今回質問にあがった wind の場合を見てみましょう。辞書(『ジーニアス英和辞典第4版』大修館書店)には次のような記述があります。

 

(1)          量を表すときはU(不可算)、種類を表すときはC

 

これはどういうことでしょうか。例文を見るとつぎのようなものがあります。

 

(2)          a.    a blast of wind            「一陣の風」

         b.    a strong wind              「強風」

              c.    sway in the wind        「風に揺れる」

              d.    a north wind    「北風」

 

こうした例文から判断すると、(2a)や(2c)のように単に気象の一現象としての「風」を指す場合には不可算で (the) windとし、(2b)や(2d)のように何らかの形容詞(strongやnorth)が付くと可算名詞扱いということになるようです。

 これは、windに限らず、他にもよく見られる現象です。例えば、「朝食」のbreakfast ですが、これも通常学校では a は付けられない、と教わります。

 

(3)          * I have already had a breakfast.

しかし、次のようにbreakfastにbigなどの形容詞をつけると、文法的な表現となります。

 

(4)            I had a big breakfast this morning

              「私は今朝大盛りの朝食を食べた」

 

では、なぜ形容詞をつけると不可算名詞が可算名詞に変身することがあるのでしょうか?

 

 ここでのポイントは形容詞の役割です。形容詞には様々な機能がありますが、名詞を修飾する形容詞の重要な役割は「分類」機能です。形容詞があることによって「他の同種のものとの差別化/差異化」が具現されるのです。

 例えば、windの場合、strong windとすることで、その対立軸に light wind 「微風」や mild wind「穏やかな風」などの存在が喚起されます。つまり、形容詞によって「どのような風か(何もない時よりも)具体化され、想像しやすくなる」のです(専門的には「様相の限定」ということになります)。すると、strong windは「数ある風の中の1つ」ということになりますので、冠詞の a が付くようになるわけです。breakfastの例も同様です。big が付加することで朝食が他の朝食、例えばsimple breakfast「簡単な朝食」などと区別(差異化)され、裸のbreakfastよりも具体化されます。結果、これも「数ある朝食(の形態)の中の1つ」ということになりますので、冠詞の a が付くようになるわけです。

 では、次のような例はどうでしょう?

 

(5)          A coffee, please. 「コーヒー1つください」

 

これも上の場合と同じく「種類」という解釈も可能ですが、通常の解釈としては「1杯のコーヒー」となるでしょう。これは特に他者と差異化をするような形容詞は含んでいませんが、通常不可算名詞として用いられることが多い coffee を可算名詞として用いています。これはどういうことでしょうか。

これは、メトニミー(換喩)による可算化です。本来なら a cup of coffee というべきところを「中身で容器を意味する」メトニミーによって「コーヒーでカップを意味する」ことになり、「1杯のコーヒー」となるわけです。

 このように、いわゆる不可算名詞が常に不可算かというと、そうは単純なものではないわけです。

 冠詞について分かり易く学びたい方には、次の本がお薦めです。

books.rakuten.co.jp